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富士山が世界遺産に選ばれたわけ

富士山信仰 / 富士山信仰の起源

遠くからも“福慈神”を拝む『遙拝』が富士山信仰の起源。

富士山の信仰は、その美しさからはじまったわけではありません。富士山が噴火していた昔、そのあまりにも激しく吹き上げる火焔に、当時の人々は怒る神の姿を重ねていました。
静岡県富士宮市には、縄文時代中期の遙拝祭祀場跡と思われる遺跡が見つかっていて、いにしえより噴火する富士山に畏怖の念を抱いていたことが分かります。「遙拝」とは、遠く離れた場所から拝むことで、それこそ富士山には近づけないために神聖な場所を選び祭祀場としたのでしょう。山宮浅間神社(富士宮市)では、拝殿や本殿がない遙拝所として当時の面影を残しています。

いつしか「福慈神(ふじのかみ)」と名付けられた富士山の神霊は、平安期に「浅間大神(あさまのおおかみ)」と呼ばれるようになります。その頃の富士山は荒れに荒れており、鎮めるために山麓に浅間大神を祀ったのが、富士山本宮浅間大社のはじまりと言われています。朝廷内でも富士山の噴火は重く受け止めていました。浅間大神の階位を「明神」から「従三位」さらに「正三位」へと短期間に上げていることからも、焦りのようなものが感じられます。

『遙拝』から、『登拝』へ。
人々は次なる信仰の動きへと足を踏み入れていく。

864年(貞観6年)に富士山は、大規模な噴火を起こしました。北西麓から噴きだした溶岩が大きな湖に流れ込み、その後の樹海をつくり、本栖湖、精進湖、西湖ができたと考えられるのがこの噴火です。湖の魚が死滅し、人々の居宅もつぶされ、甚大な被害が出ました。
その報せが平安京に届くと、朝廷はこの原因を大神祭祀の怠慢とし、駿河国富士山(現:静岡県)に「鎮謝(祈り謝る?)」せよ、甲斐(現:山梨県)の国司に「奉幣解謝(捧げものをして祀る?)」せよと下知。

そして、甲斐国八代郡に浅間大神の社殿を建てたのが、河口湖町河口の浅間神社と言われています。富士山の噴火を鎮めるため浅間神社の祈りは、国を超えて広がっていきました。
長い祈りが通じ、1083年(永保3年)を最後に富士山の噴火活動は収束。
人々は、「遙拝」から「登拝」へ、次なる信仰の動きへと足を踏み入れていきます。