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基礎知識 〜子ども編〜

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富士山はどうして世界遺産として認(みと)められたの?

美(うつく)しく大きな富士山を見ると、とても感動(かんどう)しますよね。それは、現代(げんだい)に生きているわたしたちだけなく、昔(むかし)の人たちも同じでした。富士山は、古(ふる)くから詩歌(しいか)に読(よ)まれ、絵画(かいが)に描(えが)かれ、信仰(しんこう)の対象(たいしょう)となってきました。日本人は、昔(むかし)からさまざまな形(かたち)で富士山とかかわりをもち、富士山を通(つう)じて、いろいろな文化が生まれてきたのです。また、富士山は、外国(がいこく)でも日本を象徴(しょうちょう)するものとして認(みと)められています。

富士山は、「信仰(しんこう)の対象(たいしょう)と芸術(げいじゅつ)の源泉(げんせん)」※であり、世界中の人が守っていく必要(ひつよう)がある貴重(きちょう)な宝物(たからもの)として認(みと)められ、世界遺産(せかいいさん)(文化遺産(ぶんかいさん))に登録(とうろく)されました。

※「信仰(しんこう)の対象(たいしょう)」…人びとが神様(かみさま)や仏様(ほとけさま)として信(しん)じてお祈(いの)りするもの
※「芸術(げいじゅつ)の源泉(げんせん)」…いろいろな芸術(げいじゅつ)を生み出すもとになっているもの

富士山(ふじさん)と信仰(しんこう)

「信仰(しんこう)」というのは、「神様(かみさま)や仏様(ほとけさま)を信じてお祈(いの)りすること」です。

昔(むかし)の日本人は、たびたび噴火(ふんか)する富士山を、神様(かみさま)が住んでいる神聖(しんせい)な山として、恐(おそ)れ敬(うやま)ってきました。富士山が噴火(ふんか)するのは、神様(かみさま)が怒(おこ)っているからだと信じ、神様(かみさま)の怒(いか)りをなだめるために、富士山のふもとに浅間神社(せんげんじんじゃ)を建(た)てました。

平安時代(へいあんじだい)の後期(こうき)になり、噴火(ふんか)がおさまってくると、今度は、富士山の山頂(さんちょう)には、仏様(ほとけさま)の世界が広がっているのだという考えが広がりました。そして、仏様(ほとけさま)の世界(せかい)を目指(めざ)して、多くの人が富士山に登(のぼ)るようになりました。

最初(さいしょ)、富士山は、修験者(しゅげんしゃ)と呼(よ)ばれる、山の中で修行(しゅぎょう)をする強(つよ)い心と体を持(も)った人たちが、修行(しゅぎょう)のために登(のぼ)る山でした。
室町時代(むろまちじだい)後半(こうはん)になると、修験者(しゅげんしゃ)といっしょに武士(ぶし)や庶民(しょみん)も登山(とざん)するようになりました。

江戸時代(えどじだい)になると、富士山を信仰(しんこう)する人たちの中で、「富士講(ふじこう)」と呼ばれる一派(いっぱ)が信者(しんじゃ)を増(ふ)やし、江戸(えど)※を中心に大流行(だいりゅうこう)しました。多くの人が富士山のふもとの滝(たき)や湖(みずうみ)などの神聖(しんせい)な場所(ばしょ)をめぐり、山頂(さんちょう)を目指(めざ)して登山(とざん)をしました。

※江戸(えど)…現在(げんざい)の東京(とうきょう)

現在(げんざい)でも、年齢(ねんれい)や性別(せいべつ)に関係(かんけい)なく、毎年(まいとし)、多くの人が富士登山(とざん)をしています。その登山道(とざんどう)は昔(むかし)の人たちが歩いた道がもとになっています。多(おお)くの登山者(とざんしゃ)は、富士山で日の出(で)を拝(おが)むことを楽(たの)しみにしています。富士山で日の出(で)を拝(おが)むことを「御来光(ごらいこう)」といいます。
険(けわ)しい山を登(のぼ)り、雲の上に現(あらわ)れる「御来光(ごらいこう)」を見ることができた時の感動(かんどう)は、昔(むかし)も今も同じなのでしょう。

また、富士山の山頂(さんちょう)にたどり着(つ)いた登山者(とざんしゃ)の多くが、頂上(ちょうじょう)をぐるっと一周(いっしゅう)しています。富士山山頂(さんちょう)を一周(いっしゅう)することを「お鉢(はち)めぐり」といいます。
「御来光(ごらいこう)」を拝(おが)むことや「お鉢(はち)めぐり」をすることは、昔(むかし)の人々にとって、信仰上(しんこうじょう)、とても大切(たいせつ)なことでした。現代(げんだい)のわたしたちにとっても、富士登山(とざん)の楽(たの)しみの一つです。

信仰(しんこう)の形(かたち)は時代(じだい)とともに変化(へんか)してきましたが、昔(むかし)から日本人は、富士山を特別(とくべつ)な山として大切(たいせつ)にしてきました。
現代(げんだい)に生きる私(わたし)たちも、あこがれや親(した)しみのある山として、富士山を特別(とくべつ)な山だと感じています。
富士山は、昔(むかし)も今も日本人の心のよりどころとなっています。

登山道(とざんどう)

富士山には、4つの登山道(とざんどう)があります。登山道(とざんどう)は、昔(むかし)の人たちが、富士山に登(のぼ)るために作った道で、現在(げんざい)も使(つか)われています。登山道沿(とざんどうぞ)いには、鳥居(とりい)や石碑(せきひ)など、信仰(しんこう)を表(あらわ)すものが残(のこ)されています。

4つの登山道(登山道)

昔(むかし)の名前現在(げんざい)の名前
大宮・村山口登山道
(おおみや・むらやまぐちとざんどう)
富士宮口登山道
(ふじのみやぐちとざんどう)
須山口登山道(すやまぐちとざんどう)御殿場口登山道(ごてんばぐちとざんどう)
須走口登山道(すばしりぐちとざんどう)昔と同じ
吉田口登山道(よしだぐちとざんどう)昔と同じ
山頂(さんちょう)の遺跡群(いせきぐん)

富士山の山頂(さんちょう)には、昔(むかし)から日本人がお参(まい)りしてきた神社(じんじゃ)や仏像(ぶつぞう)があります。
もし、富士に登(のぼ)る機会(きかい)があって、無事(ぶじ)に山頂(さんちょう)までたどり着(つ)くことができたら、ぜひ、神社(じんじゃ)や仏像(ぶつぞう)を探(さが)してみてください。富士山を信仰(しんこう)してきた日本人の思いに触(ふ)れることができると思います。

富士山と芸術(げいじゅつ)

富士山はその美しい姿から、様々(さまざま)な創作(そうさく)活動の題材(だいざい)となってきました。日本で最も(もっとも)古い歌集の万葉集(まんようしゅう)では、富士山は、国の鎮め(しずめ)の神であり国の宝であるとされています。その後も、かぐや姫で有名な「竹取物語」など、和歌や物語の題材となってきました。

富士山を描いた最も有名な絵画は、江戸時代の浮世絵(うきよえ)です。葛飾北斎(かつしかほくさい)の「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」の一つである「凱風快晴(がいふうかいせい)」は、夏の早朝、富士山の山肌(やまはだ)が朝日を受けて赤く染まる(そまる)様子(ようす)を描いたもので、外国でも有名です。モネやゴッホなど外国の画家たちにも大きな影響(えいきょう)を与えました。

【左】(上)葛飾北斎『冨嶽三十六景 凱風快晴』/(下)葛飾北斎『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』
【右】(上)横山大観『群青富士』(右隻)静岡県立美術館蔵 /(上)木村武山『羽衣』(左隻)静岡県立美術館蔵

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