富士山が世界遺産に選ばれたわけ
富士山信仰 / 富士講
「富士を拝み、富士山霊に帰依し心願を唱え、報恩感謝する」というわかりやすい教えが広まり、江戸時代から昭和初期にわたりつづいた庶民の信仰。代表が富士山を参詣し、本宮冨士浅間神社に参拝してからも富士講八海巡りなどの修行を行っていました。
富士講
富士講の開祖は、長谷川角行(1541~1646)。富士の人穴(富士宮市)や北口本宮参道の立行石等で荒行を重ねて宗教的覚醒を得て、祈祷の力により諸病平癒などで庶民を救済したといいます。弟子の村上光清と食行身禄が法脈を受け継ぎ、その教えは筋道の立てられた教義をもとに独自の実践道徳をもって発展、組織化。山の結界が開放される2ヶ月間に平均1~2万の人々が信仰を目的とした登拝が行われました。
【 図:葛飾北斎 / 富嶽三十六景 諸人登山 】
世界的にも有名な『冨嶽三十六景』は、民衆の間に起こった爆発的な「富士講ブーム」がきっかけといわれている。
女人禁制
修験道の伝統として、霊山などへの女性の入山を禁止していました。富士山も1872年(明治5年)の太政官布告により禁が解かれるまで、女人禁制でした。ところが、禁が解かれる前に登拝した女性がいました。富士講の信者、高山たつです。男女平等の思想を持った食行身禄の意志を受け継いだ小谷三志の尽力により、登頂を果たしました。そのとき、たつは男装だったといいます。