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富士山が世界遺産に選ばれたわけ

芸術の源泉 / 漢詩に見る富士山

日本人は、飛鳥・奈良の頃より、漢詩を学び、花鳥風月を愛好する王朝の人々によって、多くの自然が漢詩に詠まれてきました。東海道が開けた江戸時代以降、富士山詠が本格化し、石川丈山の七言絶句を皮切りに次々と美しい詩が詠まれるようになりました。
江戸時代になると、唐の杜甫の詩「望嶽(ぼうがく)」(泰山を詠じた)を踏まえつつ、格調高く詠い上げた柴野栗山の「詠(えい)富士山(富士山を詠ず)」五言律詩が現れ、頂点に達します。
静岡県では、古今東西の「富士山の漢詩」の中から、『富士山漢詩百選』を編纂しました。
その中から、いくつかご紹介します。解説は、『富士山漢詩百選』選定委員会の石川忠久委員長です。

江戸初期

石川丈山 『富士山』

【解説】
わが国の「富士山詠」の漢詩は、何と言っても、この石川丈山の詩から幕をあける。
和歌の世界では、早くかの山部赤人の格調高い“富士讃歌”が出たが、漢詩の世界では、江戸時代に入って、まず、お伽(とぎ)の国の不思議な山、として詠われた。仙人が来て遊ぶだの、不思議な龍がこの山の洞穴(ほらあな)に棲んでいるだの、そして極めつけは、白扇を東海の空に逆さまに懸けたという、奇想天外な見立てで結ぶ。
山の非凡さを機知で描いた才の光る詩である。

江戸中期

柴野栗山 『富士山』

【解説】
富士山を正面から捉えて詠った、いわゆる本格的な富士山詠としては、柴野栗山の格調高い五言律詩を第一に挙げる。この詩は、唐の杜甫の、中国の名山の代表である泰山を詠んだ「望岳」に範を取り、さらに富士山の“気高(けだか)さ”を表出している。
対句も厳密で、用語は先人の作を踏まえて吟味され、一部の隙もない。和歌の世界の山部赤人の長歌と肩を並べる、わが国の漢詩富士山詠の最高峰と言えよう。

江戸後期

安積艮斎 『富士山』

【解説】
前半の二句は、秦の始皇帝が徐福に命じて、不老不死の仙薬を取りに来た、という伝説を踏まえ、その仙山こそこの富士の峰だ、と喝破する。この見立て自体は、先人にも見られ、特筆すべきものではないが、これを受けた後半の二句が、いかにもスッキリと美しい。
富士山詠の多くが、理屈を述べようとするのに対し、富士山を文字通り芙蓉の花、と見立て、天風にも折れない強さ、気高さを描いて見せたところに、この詩の非凡さが見られる。

凡例