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三保松原

三保松原は古くから富士山とセットとして組み合わされ、表現されてきました。特に室町時代以降、両者の組み合わせは、一つの型となり規範となって、連綿と描き継がれていきます。富士山を描く無数の絵画のなかでも、おそらく最もポピュラーな画題といえるでしょう。

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  • 信仰
  • 風景
  • 駿州薩陀山富士遠望図
    司馬江漢
    寛政11(1799)年
  • 『三保松原・厳島図屏風』のうち「三保松原図」
    作者不明
    江戸初期(17世紀)
  • 駿州薩陀山富士遠望図

    駿州薩陀山富士遠望図

    司馬江漢 / 寛政11(1799)年

    超ワイドなパノラマ画面に富士三保松原の景観。右上「寫於平安城下旅館」から京都での制作とわかる。江漢は天明8(1788)年清水・鉄舟寺の観音堂からこの景観を実見、以降、繰り返し油絵の富士図を描いた。その一点では景観範囲は最も広い。右上朱字のオランダ語は「Eerste Zonders in Japan Si:」で、日本最初のユニークな人物という意。近代洋画家の須田国太郎旧蔵。

    静岡県立美術館

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  • 『三保松原・厳島図屏風』のうち「三保松原図」

    『三保松原・厳島図屏風』のうち「三保松原図」

    作者不明 / 江戸初期(17世紀)

    三保松原だけでなく駿河国の東海道沿いの名所を描いた屏風。駿府城・久能山東照宮、江尻の町並み、名刹として名高い清見寺、難所として知られる薩陀峠などが旅人の姿とともに描かれる。寛永〜寛文初年(1624-61)頃の制作と考えられる貴重な名所風俗図で、富士山が小さく描かれるのが、かえって珍しい。

    静岡県立美術館

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