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富士山が世界遺産に選ばれたわけ

和歌に見る富士山 / 富士山百人一首

万葉の時代から、現代に至るまで、日本人は、その時々の気持ちを富士山に託し、多くの歌を詠んできました。
静岡県では、古今の歌人が詠み継いできた「富士山の短歌」の中から、心に残る歌を全国に募集し、『富士山百人一首』を編纂しました。

その中から、いくつかご紹介いたします。

平安時代

古の多くの都人にとって、まだ目にしたことのない富士山は、想像上のインスピレーションを掻き立てられる山でした。和歌に詠まれた富士山は、火山=噴煙をあげ活動する山のイメージから、「思ひ(火)」つまり「燃える想い」=恋心の比喩として用いられたり、富士山のたなびく煙をもやもやした自分の気持ちの比喩として用いられています。

風になびく富士の煙の空にきえてゆくへも知らぬ我が思ひかな

【歌意】風になびく富士山の煙は空に消えてその行方も分からない。まるで私自身のこの思いと同じように。
<鑑賞>空に消えていく富士山の煙と自らの思いとを重ねています。諸国を行脚しながら求道と作歌に人生をかけた、旅多き歌人・西行の代表作です。後代の画家たちは、富士山を仰ぎ見る西行の後ろ姿を多く描いています。これらは、富士見西行と呼ばれる構図です。

原在善筆 『富士見西行図』 京都国立博物館

原在善筆 『富士見西行図』 京都国立博物館

鎌倉時代

平安時代末期に、末代上人(まつだいしょうにん)が富士山山頂に大日寺を築き、富士山は修験者の修行の場となりました。
鎌倉時代に入ると、富士山の噴火も沈静化し、人々は雪を頂く美しい姿に改めて魅せられるようになります。鎌倉幕府の成立に伴って、京都と鎌倉を行き来する人も増え、彼らは、富士山の美しさを直接、目にすることになり、その感動を歌に詠むようになりました。

天の原富士のけぶりの春の色の霞になびくあけぼのの空

【歌意】大空にたなびく富士山の煙も、夜明けの空の春の色の霞に紛れるように流れていく。
<鑑賞>夜明けの朝日を受けて、春霞がたなびいています。そこに富士山の煙が重なるように流れていく。富士山の煙の見られる春の夜明けの天空を、おおらかに歌い上げています。

狩野探幽筆 『富士山図』 静岡県立美術館

狩野探幽筆 『富士山図』 静岡県立美術館

見わたせば雲居はるかに雪白し富士の高嶺のあけぼのの空 源実朝(1192~1219)『金塊和歌集』

【歌意】見渡すと雲の向こうに雪が白く見える。富士山の頂上が見えるあけぼのの空だなあ。
<鑑賞>朝日がちょうど当たったところでしょうか。夜明けの空高く、頭を雲の上に出した富士山の頂上が、雪で白く輝く様子を歌っています。十二歳で鎌倉幕府第三代征夷大将軍に着いた作者は藤原定家の指導も受け、『万葉集』『古今和歌集』の探求にも熱心でした。自らの歌集『金塊和歌集』には約七百首が収められています。

大久保一丘筆 『冨嶽明暁図』 静岡県立美術館

大久保一丘筆 『冨嶽明暁図』 静岡県立美術館

江戸時代

室町時代後半には、修験者だけでなく一般庶民も登拝をするようになり、戦国時代の末期、長谷川角行(はせがわかくぎょう)が新たな富士山信仰を教義としてまとめ、近代富士講の基礎を作りました。
江戸中期になると、関東を中心に「富士講」が爆発的な人気となり、庶民も富士登山をするようになりました。

駿河なる富士の高根はいかづちの音する雲の上にこそ見れ

【歌意】駿河の国にある富士山の山頂は、雷の音がするその雲上に見える。

葛飾北斎 『冨嶽三十六景 山下白雨』 山梨県立博物館

葛飾北斎 『冨嶽三十六景 山下白雨』 山梨県立博物館

「富士山は、雷鳴をもたらす雲の上に聳(そび)え立っている。」

雷は、昔から「雷神」として怖れられてきました。「雷神という神様よりも、富士山の方が高く聳(そび)えている」ということは、富士山への畏敬の念が込められた歌とも言えます。 さて、「富士山の山頂は、雷の音がするその雲の上に聳(そび)えている」という表現。 どこかで聞いたことがありませんか? そうです。日本人なら誰もが知っている、あの唱歌に歌い継がれているのです。

頭を雲の上に出し 四方の山を見おろして 雷さまを下にきく 富士は日本一の山 庵原の清見がさきに朝はれて富士は秋こそ見るべかりけれ

【歌意】庵原の清見が崎の朝、晴天となった。富士山は秋こそ見るものなのだなあ。
<鑑賞>「清見がさき」は静岡市清水区興津の清見寺のあるあたりです。清見が崎に居た朝、富士山は秋こそ見るべきものなのだ、と詠んだ一句です。

明治以降

万国の博覧会にもち出せば一等賞を取らん不尽山

【歌意】万国博覧会に出すことができたならば、一等賞をとるだろうよ、この富士山は。
<鑑賞>1900年にパリで万博が開催された時代に生きた作者。万国博覧会に出すことが出来たなら、この富士山が一等賞をとるだろう、という痛快な一首です。わずか30数年の人生の中で多くの短歌・俳句を遺した作者は、江戸時間以前の古書から富士山に関する記述を抜粋した『富士のよせ書き』の編集の一人としても知られています。

横山大観筆 『群青富士』静岡県立美術館

横山大観筆 『群青富士』静岡県立美術館

静岡県では、『富士山百人一首』の編纂に続き、富士山の普遍的価値を広く普及するために、全国から富士山の短歌を募集し、『富士山万葉集』を編纂することとしました。
『富士山万葉集』は、『万葉集』が二十巻からなることにちなみ、全二十巻を編纂いたしました。

『富士山百人一首』、『富士山万葉集』をご希望の方に無料で配布しております。

お問い合わせ先は、こちら
静岡県富士山世界遺産センター
電話 : 0544-21-3776
FAX : 0544-23-6800
e-mail : mtfuji-whc@pref.shizuoka.lg.jp