富士宮口
村山浅間神社(村山興法寺)
12世紀頃に富士山の噴火活動が沈静化すると、末代上人をはじめとした山中で修行する人々が現れた。これが発展し14世紀初頭には富士山における修験道が確立されていく。この中心となったのが京都の修験道本山派・聖護院門跡に所属した村山興法寺である。興法寺は境内に本堂である大日堂、末代上人を祀る大棟梁権現、そして浅間神社が中心となった修験道の寺院であったが、明治時代以降は村山浅間神社が中心となる。19世紀後半までここの修験者たちが大宮・村山口登山道を管理した。

12世紀頃に富士山の噴火活動が沈静化すると、末代上人をはじめとした山中で修行する人々が現れた。これが発展し14世紀初頭には富士山における修験道が確立されていく。この中心となったのが京都の修験道本山派・聖護院門跡に所属した村山興法寺である。興法寺は境内に本堂である大日堂、末代上人を祀る大棟梁権現、そして浅間神社が中心となった修験道の寺院であったが、明治時代以降は村山浅間神社が中心となる。19世紀後半までここの修験者たちが大宮・村山口登山道を管理した。
